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矢野杏仙邸跡付近、盛夏

―川蜻蛉・煙立つ風景・夏積雲など―

2008/8/9(土)午後・晴 西予市城川町土居新開

暑くてたまらない午後です。川の方へ行ってみました。
矢野杏仙邸跡から、
対岸・中町の方を望む。
その中町も無住の家多く、部分的な倒壊なども心配される。バスの震動も気をつけないと。

← 碑文の写りが悪く、
かなり読みにくいと
思われますが、
参考までに。


すぐ傍にある
サツマイモの畑。
              『城川町誌』(城川町1976)から【矢野杏仙】についての抜粋
 杏仙は文化八年の生まれ、若くして志を立て長崎に遊学した。大洲藩奥医師菊山逸斉(当時名乗玄渓)も遊学していて、種々杏仙を援助したという。杏仙は学成って帰郷、窪野に開業したが、間もなく土居のハチマンヤジ(後にオイシャヤジ)に移った。新知識を身につけた杏仙は時勢にも目を開いた。国時を憂える志士として郷党を教育し、ひろく近国の志士と交り、シンパとしてパトロンとして諸国にその名が知られるに至った。矢野杏仙はその令名を残して明治二年八月一〇日五九才をもって歿した。
 法名 南岳院杏林寿仙居士、墓は窪野片平にある。
 矢野邸は残念ながら現在はない。



碑は町営住宅(現・市営住宅?)
の敷地内、南西隅にあります。
↑ このような狭いスペースにあるため、撮影もままなりません。
敷地の余裕はかなりあります。どのような事情からこんな隅っこに追いやられたのでしょう。
「顕彰碑」とはありませんが、そのような性格のものでしょう。
ツバメが飛びながら水浴。
ジュズダマ(数珠玉)とカワトンボ(川蜻蛉)、そして三滝川の流れ。

↑ 今年生まれのツバメの幼鳥たち
           手前後方は、まだ未開通の道路 →

農家特有の、外から利用できる
仕組みの「センチ」。

ヒグラシ(蜩)の声が
あたり一面に
広がっています。
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